Rainy Style

ショートショート

記憶屋

 今、俺の手元には百万円もの金がある。先ほど「記憶」を売ってきたのだ。

 その奇妙な店はちょっとした路地を入った所にあった。看板には「記憶売ります、買います」の文字。興味を惹かれて、俺は店の中に入ってみた。

 木造独特の匂いがする店内は、一見すると古書店のようにも思える。だが、店内にはレジとして利用しているのであろう机が置いてあるだけで、商品は見当たらない。

不思議に思いながら店内を見回していると、やがて奥から店主らしき若い男が出てきた。

「いらっしゃいませ」

「変わった店だね。ここはどういう店なんだい? 表の看板には妙な事が書いてあったけれど」

「看板の通りですよ。何かお探しの記憶がございますか? 様々な記憶を取り揃えておりますよ」

「いや、そんな事考えた事もない。それに、あいにく大した持ち合わせも無くてね」

「そうですか。それならば逆に、忘れたい記憶はございませんか? もしお客様が忘れたい記憶をお持ちなら、買い取らせていただきますよ」

「買い取ってどうするんだい?」

「もちろん他のお客様に売るのです。人の記憶を覗き見たいなんて言う人は意外と多いものです。特に珍しい記憶や重要な記憶は高い値が付きますよ」

 なるほど、それはそうかも知れない。金持ちの道楽としては十分なものだろう。

 納得した俺は、『何かの記憶』を売った。もちろん記憶を売ってしまったのだから、どんな記憶を売ったのかは忘れてしまったが、ともかく俺は百万円もの金を受け取って帰ってきたわけだ。

 しかし……今こうして考えてみると、俺は一体どんな記憶を売ったのだろうか? まさかこんな高値が付くとは思ってもみなかったのだ。

 店主は確か、珍しい記憶や重要な記憶に高値が付くと言っていた。平凡な生活を送る俺に、それほど珍しい記憶があったとは思えない。もしかしたら、とんでもなく重要な記憶だったのではないだろうか。それこそ、俺の人生を変えてしまうような……。

 気になり始めると、もう止まらなくなってしまった。思い出そうとしても、すっぽりと穴が開いているようでまったく思い出せない。しかし百万円もの値段がつくような記憶だ。重要なものに違いない。

 やはり、記憶は返してもらおう。そう思った俺は再び先ほどの店に向かった。先ほどと同じく、若い店主が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」

「やあ、さっき売った記憶なんだけど、返してくれないか。気になって仕方がないんだ。金は返すから頼むよ」

「それはできません。申し訳ありませんが一度買い取った記憶はお返しできないのです。どうしても記憶をお戻しになりたいのなら、お買い上げになっていただくしかありません」

 うーむ……一度売った自分の記憶をまた買い戻すなんて……。しかし気になって仕方がないのだ。このまま思い出せないのは辛い。

「分かった、買い戻そう。いくらだい?」

「百十万円になります」

「十万円の損か……、仕方がないな……」

 十万円の損は痛かったが、それ以外に方法はないようだ。断腸の思いで十万円を上乗せして、俺は自分の記憶を買い戻した。

 すると、途端に思い出した。俺がさっき売った記憶は、「今朝、道端で犬のフンを踏んだ」という、くだらないものだったのだ。

 俺はびっくりして聞いてみた。

「こんな記憶が百万円を超える値段で売れるのかい!?」

 すると店主はこう答えた。

「ええ。たいていは気になった本人が買い戻してくれますよ」

 

 (了)

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機島雨彦 / サヨナラアート
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